どうも、坂津です。
そういえば先週の金曜日に書いたコトのご報告がまだでした。
祖父の蔵から出てきたものは古々々米と大量のねずみたち。
彼らにしてみると最高の環境だったのではないでしょうか。
人が足を踏み入れることも無く風雨もしのげる上に米が食べ放題。
まさに夢の国。
ネズミたちの夢の国。
そこに現れた私。
突如現れた巨人。
蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う住人たち。
阿鼻叫喚。
いやぁ、ひどかった。
年々、歳を重ねるごとに時間の経過が早くなります。
もちろん体感で。
この経験と感覚は割と多くの方に賛同いただけるのではないでしょうか。
そして私なりに、この感覚の理由を分析してみました。
そして恐らくコレだ、という結論に至りました。
アラフォーの私自身が切実に実感していることの謎について、私自身が納得できる解にたどり着いたというワケです。
まず時間の経過について早いなと実感する時は、決まって「直近の過去のある期間」を振り返った時です。
え、もう今年の半分が終わったの!?
1年が過ぎるのってホントにあっと言う間だね。
みたいな。
例えば1歳の子供にとっての1年は、その人生の100%ですよね。
でも10歳の子供にとって1年は、経験してきた人生のうちの10%ということになります。
要するに経年によって、これまでの人生における1年間という期間の構成比が低くなっていくのです。
・年齢別 過去の1年間の構成比
10歳 10%
30歳 3.3%
50歳 2%
70歳 1.4%
まずこれを「過去から切り取った時間の価値」と呼ぶことにします。
次に、これから過ごす時間、つまり未来に目を向けます。
例えば寿命を80年に仮定した場合、1歳の子供にはあと79年が残されていますので、未来の1年間の構成比は1/79となり、1.3%程です。
50歳の人にはあと30年しかありませんので、1/30で3.3%となります。
要するに経年によって、これからの人生における1年間という期間の構成比が高くなっていくのです。
・年齢別 未来の1年間の構成比(寿命を80年と仮定)
10歳 1.4%
30歳 2%
50歳 3.3%
70歳 10%
これを「未来から切り取る時間の価値」と呼ぶことにします。
さて、人間は過去の経験によってしか未来を予測することができません。
自分が経験してきた人生において、過去から切り取った時間の価値がどんどん低くなっていくことを避けられないことは、潜在的に自覚しています。
そして同時に、未未来から切り取る時間の価値がどんどん高くなることも同様です。
するとそこに、価値のギャップが発生します。
経年が増すごとに、これから過ごす1年間の価値は高くなるはずなのに、過去に経験した1年間の価値が低いという現実。
このギャップを「未来から切り取る時間の価値」÷「過去から切り取った時間の価値」という計算でギャップ割合を出すとこうなります。
・年齢別 1年間の価値のギャップ(寿命を80年と仮定)
10歳 14%
30歳 60%
50歳 166%
70歳 700%
今回は寿命80年という仮定ですので、ちょうど半分にあたる40歳のとき、過去に経験してきた40年の中の1年間と、これから経験するであろう40年のうちの1年間の価値がイコールとなり、ギャップが無い状態、つまりギャップ割合100%ということになります。
これが、私なりにたどり着いた納得できる解答です。
年々時間の経過を早く感じるのは、過去と未来における時間の価値のギャップが生む焦燥感と言い変えることもできるでしょう。
過去から未来へ流れる1本の線の中に現在を置くという、一般的な時間軸の図式が引き起こす不幸な副作用ですね。
ーー過去ーーーーー現在ーーーーーー未来ーー
こんな図式で、過去の一点に生誕を置き、未来の一点に終焉を置けば、当然ながら右へ右へと移行する現在を分岐点とした左側が増え、右側が減るのは当たり前です。
しかし時間の流れを(そもそも時間の流れなどというものが存在しているかどうかは別の話として)上図以外の解釈で理解するのが難しいのも事実です。
そうなると、この「歳を重ねるごとに時間の経過が早く感じる現象」を避けることはできないという結論に至るかと思われましたが、実はちょっとだけ解決しました。
それはこの解答にたどり着いたからです。
現象の原因が分からないままでいるよりも、自分が納得できる因果を把握している方が焦燥感が少ない、ということです。
要は「仕方ない」と思えることによって心の負担が軽減されるということですかね。
簡単に言えば気にならないということ。
例えその因果の内容が自分勝手な思い込みであったとしても。
この解答がどこかのだれかの、私と同じような焦燥感を抱いている人の心を少しでも軽くすることができれば幸いです。